こんにちは、原尾Pです。第6話で、半ズボン少年のジャック君が、マイティ一族の一人だと聞いてびっくりされた方もいらっしゃるのではないでしょうか(主に年齢高めの皆さんを中心にw)。このコーナーでは、本作にしばしば顔を出してくるレトロゲームについて紹介したいと思います。まぁ、社歴が長めの私でも入社前の話になりますので、既に伝説化している部分を含めて先輩社員に尋きながら掘り起こしていきたいと思います。
ジャック主演の第一作「ボンジャック」は、アーケードゲーム(ゲームセンター用ゲーム)として1984年に産声を上げました。固定画面の中に配置された爆弾を、主人公ジャックが、敵を避けながら回収していくという内容で、「パックマン」や「ヘッドオン」のような、いわゆる“ドットイートゲーム”のジャンルの流れをひくものです。
そんな「ボンジャック」の開発コンセプトの核は、ずばり「重力アクション」です。ジャンプ、落下、そしてホバリングを組み合わせた空中アクションの多彩さは、アクションゲーム黎明期のタイトル群の中では、頭一つ抜けたものでした。
今、プレイしてみると「どこが?」と感じると思いますが、当時の業界のプログラム技術は、そう高くなく、綺麗な放物線を描くゲームの方が稀だったほどなのです。
開発当初は、自機のジャックは人型ではなく、弾力のある球体状でした。ボタンを押すとつぶれて縮み、その時間によってジャンプの高さが決まるという仕様だったのですが、さすがに超絶難度すぎるということで変更になりました。このことからも、「ボンジャック」が、今でいう「物理演算シミュレータ」的なものを志向して開発されたことがうかがえます。
2年後の1986年、家庭用8ビットゲーム機「ファミリーコンピュータ」への参入第1作目として「マイティボンジャック」がリリースされました。この時に、社名もテーカンからテクモへと変更されています。
アーケードゲームとしてはヒットした「ボンジャック」ですが、ただの移植では家庭用としては物足りないということで、固定一画面ではなく、容量ギリギリまで詰め込んだ256画面で構成されたピラミッド内部を冒険するという内容に変更されました。ここで問題になったのがスクロールです。当時の技術では、縦スクロールと横スクロールをひとつのソフトの中で実現することは非常に難度が高かったのです(当時の各社タイトルを、そういう目で見るのも面白いかもしれませんね)。
なんとか専用プログラムを開発して、その問題を解決した開発陣は、3ヶ月間という信じられない短納期で「マイティボンジャック」を完成させました。ただし、その代償としてプログラマの体重は12キロ増えてしまったそうです。3ヶ月、歩かなかったから(笑)。
また、この「マイティボンジャック」は、当時の海外バイヤーから、「なんじゃこのタイトルは、意味不明だ」と文句を言われたそうです。
確かに直訳すれば「強力な・爆弾・一郎」みたいな感じですもんね。すっごくカルトなゲームの臭いがしますよね。秋葉原でプレミアついて1万円とかで売ってそうです。
「ボンジャック」「マイティボンジャック」は、今でも、携帯電話やゲーム機のダウンロードコンテンツなどで遊ぶことが可能です。ぜひとも80年代の熱気を味わってみることをオススメします。
©TECMO KOEI GAMES CO.,LTD.
PROFILE
原尾宏次
「Rio RainbowGate!」プロデューサー。コーエーテクモウェーブ取締役。