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「赤井くんには彼女がいない~ハッピーエンドの描き方~」 刊行直前ショートストーリーWEB連載(その3)

「赤井くんには彼女がいない~ハッピーエンドの描き方~」 刊行直前ショートストーリーWEB連載(その3)

 12月23日。午後9時37分。
 東京神田神保町。六階建てマンション「ウッディベル」の、601号室。本棚だらけの部屋。電源の切れたテレビ。静かにうなる冷蔵庫。食卓の上に置かれた一冊の本。
 鳴りだしたスマートフォンを手にとって、ドライヤーの電源をオフにする。

 はい、遠藤です。お世話になっております。
 はい。大丈夫です。はい。
 あはは、そういう浮いた話はまったく。明日も仕事ですよ。
 えっと。
 なんていうか、女子高女子大で、そのあとは就職せずにデビューでしたから。
 ……え? 中学の頃ですか?
 うーん、引っ込み思案でしたし。
 あ、いえ、いいですいいです。なんていうか、そういうのは、私はちょっと。人それぞれだと思いますけれど、恋人が欲しいからっていう理由で恋人を作るタイプじゃないんですよ、多分。そういう相手が現れたらでいいっていうか。
 ……そういう言われ方をしちゃうと、反論の余地もないんですけれど。
 でもでも、私にだって恋バナくらいありますよ?
 ほんとですよ。実際にあった話です。体験談です。
 いくら私でも、現実と創作の区別くらいはついてますから。
 え、
 あ、いや、えっと……でも。
 別に話すのが嫌なわけじゃないんですけど。
 でも、ほら、あんまりお時間取らせるのも。
 ……。
 えっと、
 うー。
 それじゃあ、えっと、一つだけ約束してください。
 ……はい。
 絶対に笑わないでください。それだけです。
 いいですか? 絶対ですよ?
 はい。それじゃあ。
 ……。
 えっと、じゃあ、お話しします。
 私が、高校二年生の頃の話です。

    *

 ゴールデンウィークが終わって、中間試験が終わって、梅雨に入るか入らないかっていう頃のことでした。
 私の通う高校の近くには、私の知る限り三軒の本屋さんがありました。
 一軒は学校と提携して何かやってるようなよくわからない本屋さんで、置いてあるのは教科書とかだったんだと思いますけれど、雰囲気からして入りづらかったので、結局一度も行ったことはありません。教科書は年度の始めに出張販売がありましたしね。
 一軒は駅前にあるレンタルビデオ屋さんとの複合店で、真面目な書籍から漫画までを広く扱っていました。売り場面積はとても広くて、うちの高校の生徒が本屋さんに行くと言えばそこに行くのが普通でしたけれど、正直に言って私としては品揃えに不満がありました。まあ、ライトユーザー向けだったのかもしれないです。
 で、最後の一軒は、多分、うちの高校の生徒は知ってた子のほうが少ないくらいの、地元の本屋さんでした。お店自体は小さめでしたが、漫画とライトノベルの新刊平台が大きくて、何月何日にその本が発売されたのか、ホントに発売日が書いてあるだけのポップでしたけれど、全部の平台新刊の上にそれがついていて、すごくありがたいお店でした。
 その最後の本屋さんに、私は週に一回くらいのペースで通っていました。……一人でですよ、いいじゃないですか。
 で。
 その日、それほど広くない店内に、私の他に一人だけうちの高校の制服を着た子がいて、珍しいなって思ってました。
 その子の名前は……うーん、ちょっと伏せたほうがいいかもしれないので、仮に……どうしようかな、じゃあ、えーっと、千夏で。この話は、私と千夏の話です。
 え?
 女の子ですよ?
 だって、うち、さっきもお話ししたとおり、女子高でしたし。
 ……いーですよ聞きたくないならこの話はここでおしまいです私だって暇なわけじゃないですし先生だってお仕事あるでしょうし関係無いですけど明日はクリスマスイブですし。
 ……。
 むう。
 確認しますよ?
 聞きたいって仰ったのは先生ですからね?
 さっき笑わないって約束もしましたよね?
 ……。
 それじゃあ、続けます。

    *

 その日、私が何を買ったのかまでは憶えてないです。多分漫画だったと思いますけど……新刊を、平積みのと棚差しのと両方チェックして、目ぼしい本を持ってレジに向かいました。
 タイミングってあるものだなって思うんですけど。その時ちょうど、千夏もレジに来たんです。で、こう……どっちが先かわからないっていう間の悪さだったので、お互い同時に一歩譲り合う感じになりました。
 あとになって知ることになるんですけど、千夏はちょっと抜けているところのある子で、そのときも必要以上に慌てたんですよね。手にしていた本を私から見えないように後ろ手に持とうとして、取り落としました。
 私は、親切心でそれを拾おうとしました。
 タイトルまでは憶えてないですけれど、漫画の技術書でした。
 ほら、年々マシになってきてはいるらしいですけれど、学校におけるオタク趣味への風当たりってやっぱりあるところにはあって。千夏は自分が漫画を描いていることを、周囲には内緒にしてたんです。
 千夏は顔を真っ赤にして、わたわたと慌てて、その技術書の上に別の本を重ねました。
 これって、千夏が何もなかったように振る舞えば、それで終わった話なんですよね。
 でも、千夏はちょっと慌て過ぎていて、充分に残念な子でした。
 ――み、見ました?
 千夏は、見ず知らずだった私に、いきなりそんなことを聞いてきました。
 私は、はい、って答えました。
 赤面していた千夏の顔が、一瞬で蒼くなりました。
 ――お願いです。どうか、このことは内緒にしてくれませんか?
 このことって?
 私は素でそう聞きました。千夏は口ごもって、
 ――その、私が、ま、
 ま?
 私の問いに、千夏は消え入りそうな声で答えました。
 ――漫画を描いていること、です。
 自白というか、自爆ですよね、これ。

 そのあと、自己紹介をしました。私と千夏はクラスは離れていましたけれど、同じ学年でした。駅までを一緒に歩きながら、漫画の話をしました。
 その頃の私は、漫画が好きで、ノートに落書きくらいはしたことありましたけれど、創作方面はまるっきりだったので――漫画を描く、っていうのを同世代の子がやっているっていうのがすごいなって、とにかく感心して、話を聞きたがって、いろいろ質問しました。
 千夏は、最初はすごく警戒してました。聞いたことはないですけれど、多分、からかわれた経験とかがあったんじゃないかと思います。でも、千夏が振ってくる漫画の話に、私は9割以上は対応できました。それはもう、本読みとしては、同年代ではそれなりに誇れるくらいには経験を積んでいましたから。それで私が本当の漫画好き――『消費物としてなんとなく暇つぶし程度で漫画を読む大勢の一般人の言う『漫画が好き』とは違う、『漫画を愛している』とでも言うべき好意』の――だということが伝わったんだと思います。
 私と千夏の、普段はできないレベルの漫画トークはとても盛り上がって――そのまま別れるのが惜しくなって、私たちは駅前のファーストフード店に入って話を続けました。
 2時間くらい話をして、連絡先を交換しあって、その日は別れました。

    *

 それから、ちまちまとメッセージをやりとりする日々が始まりました。
 私は千夏を「千夏」って呼ぶようになりましたし、千夏は私を「こはるん」って呼ぶようになりました。
 メッセージは、漫画とアニメの話が主でしたけれど、少しずつお互いのパーソナルに関する話もするようになっていって……もちろんその時点で意気投合はしていたんですけれど。それが決定的なものになったのは、二人のコンプレックスについての会話からでした。
 えっと。
 いやまあ、先生はご存知だと思いますけど。
 私、自分が子供っぽいの気にしてるじゃないですか?
 なんていうか、見た目が。全体的に。
 で、えっと、千夏は当時から私より少しだけ背が高くて、ボブカットの似合うかわいい子でしたけれど。
 えーっと。
 わりと、ぺったんこなのを気にしていた、というか。
 どういう流れだったかな……とにかく、お互いのコンプレックスでした。それが。
 私はこう言いました。千夏は私より胸あるじゃない。
 千夏はこう言いました。こはるんのほうが胸はある。
 よし、勝負しよう、という話になりました。
 学校から件の本屋さんに向かう方面に、小金湯っていう名前の、スーパー銭湯と普通の銭湯の中間みたいなお風呂屋さんがあって、私と千夏は学校帰りに連れ立ってそこに向かいました。
 自動ドアを入ったところにある自動券売機で2時間の入湯チケットを買って、フロントのお姉さんに渡してロッカーの鍵を受け取って、女湯側の脱衣所に入りました。
 さて。
 夕方の銭湯は、まあそれほど混んではいませんでした。
 私と千夏のロッカーは隣り合っていて、二人して扉を開いて、通学カバンだけ先にロッカーに入れて、
 ちらりとお互いを見やってから――
 私と千夏は、多分に二人とも恥ずかしさを誤魔化す意味もあって、勢い良くワイシャツとブラウスとスカートを脱いで、下着姿で向かい合って立ちました。
 さすがに当日のブラまでは憶えてないですけど。
 ブラの上から見た感じは、引き分けでした。どうやら千夏も同じことを思ったようで、お互いに視線を交わし合って、うなずいて、こくりとつばを飲み込んで、ブラを外しました。
 ……勝負は、
 引き分け、のように見えました。
 お互い、何も言いませんでした。
 わずかな間があったあと――
 私はそっと、千夏の手に下がっていたブラを、手に取りました。
 何をするのかわかったのでしょう、千夏が小さく息を呑んで、
 私はそのブラを、自分の胸に、そっと当てました。
 ……。
 カップに、
 カップに、指一本入るくらいの隙間が、ありました。
 苦い勝利でした。
 いや、勝利と言っていいのか――試合に勝って勝負に負けた。わけじゃないですね。勝負には勝ったけど、何かで負けた感じでしょうか。
 私と千夏はショーツを脱いで、タオルで前を隠しながら洗い場に行って、シャワーで身体を軽く流してから、並んで湯船に浸かりました。
 私が「やっぱり千夏のほうがあるじゃない」と言って笑うと、千夏は申し訳無さそうに小さく笑みを浮かべて「でも、私は無駄な肉も多いし。こはるんくらい細ければよかったな」って言いました。
 そのあとは、いくつかあるお風呂を一緒に巡ったりしました。露天風呂と、ジャグジーみたいなのと、サウナと、打たせ湯もあったかもしれないです。
 ともあれ、それをきっかけに、私たちの距離は一気に縮まっていきました。

    *

 私と千夏が「漫研」を設立したのは、それから半月ほど後のことです。私は乗り気じゃなかったんですけれど「乳比べをした仲じゃない」って押し切られました。とはいえ「部」じゃなかったですね、非公認だったので、漫画研究会です。うちの学校では構成員が3人以上いないと部って認められなくて、うちの漫研は千夏と私の二人だったので。
 それでも、私と千夏は一緒にいろいろなことをしました。
 夏コミに参加して、文化祭でイラストを展示して、冬コミで同人誌を出して、一緒に初詣に行って。大学受験の勉強を始めながら、それでも私たちは活動し続けようねって話をして。三年生になって、二度目の夏コミで二冊目の同人誌を出して、修学旅行では一緒の班で、冬コミには一般参加して、また初詣に行って――
 受験も始まって、卒業を間近に控えた、二月。
 ある日の放課後。
 私と千夏は、一緒にケーキ屋さんに行きました。
 どうしてそこに行ったのかは、憶えてないんですけど。まあ、千夏が行こうよって言って、私がうんって答えた、いつものパターンだったと思います。
 繁華街の二階で、大勢の人たちが行き来する光景をガラス張りの窓から見下ろしながら、私はチーズケーキを、千夏はチョコレートケーキを注文しました。
 そこで。
 ケーキを食べながら、千夏は、ぽつりとこう切り出しました。
「……あのね、こはるん。ちょっと聞いてほしいことがあるの」
 千夏が私に話を切り出すときはいつも勢い優先で、そんな前置きがあったことに私はちょっとだけびっくりしました。少しだけ警戒して、用心深く、
「……どうしたの、改まって」
 と聞くと、千夏は数秒の間を置いてから、
「私、好きな人がいるの」
 と言いました。
「好きな人?」
 私が尋ねると、千夏はこくんとうなずいて、
「うん」
「……漫画とか、アニメとか、ライトノベルとか、ゲームのキャラじゃなくて?」
 私は念のために聞きました。
 千夏はもう一度こくんとうなずいて、
「うん。3次だよ」
「……」
 私はちょっと信じられなくて、なんとコメントしていいかわからなくて、黙ったままケーキをフォークで切って、一欠片を口に運びました。
 千夏は少し勇気を振り絞る感じで、
「……えっと、あのね」
 言って、数秒の間を置いて、続けました。
「私、今は、その人に想いを伝える勇気は、ちょっとないんだ。もしかしたら、今だけの気の迷いかもしれないし。でも、それはとても大きな気持ちだから……私、それを作品にしてみようと思うの」
「……作品に?」
 私が聞くと、千夏はうなずきました。
「うん。漫画にする」
「……」
「それで。でも、10年先も同じ気持ちを持っていられたら、そのとき――」
 千夏は手元のケーキを見つめたまま、その先を続けませんでした。
 私も、先をうながしませんでした。
 それから、
 千夏は顔をあげて、かすかに笑って。
 ケーキをフォークで切って、
「こはるん、あーん」
 言って、ケーキを私の口元に運びました。
「……恥ずかしいなあ」
 と言いながらも、私は千夏のチョコレートケーキを一口もらって。
 私も、チーズケーキを一口お返ししました。
 そのあと、千夏と別れて、帰りの電車に乗っていると、メッセージが届きました。
「こはるん、今日もありがとう。楽しかったよ。ずっとずっと仲良しでいようね」
 私は、こちらこそありがとう、これからもよろしくね、って返事しました。
 ――あとでメッセージのログを確認して気づきましたけど。
 その日は、二月の十四日でした。

    *

 ……。
 私の話は、これでおしまいです。
  ……。
 え、あー。
 たしかに、はい。
 はい、そうですね。
 でも……いえ、おわかりにならないなら、それで。
 それでも、私の話はこれでおしまいなんです。
 え? その後、ですか?
 うーん、まあ、ご想像にお任せしますよ。
 ええ、はい。
 それより、今更ですけれど、先生のご用件は?
 え。
 さっきのが本題だったんですか?
 私はいいですよ、さっきも申し上げましたけれど。はい、すみません。
 はい、はい。
 それでは、失礼します。――よいお年をお迎えください。

 電話が切られる。
 12月23日。午後10時07分。
 東京神田神保町。六階建てマンション「ウッディベル」の、601号室。本棚だらけの部屋。電源の切れたテレビ。静かにうなる冷蔵庫。電源の切れたドライヤー。食卓の上に置かれた一冊の本――A5サイズの、女の子同士の恋愛漫画の、単行本。
 その著者の名は、柊ちなつ。
 ――ただ、それだけの、話である。

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